もしもの時に備えるために「物を溜め込む」のは、この先の未来がずーっとあると思っているから。
でも明日が続く保証はどこにもない。
もちろん、「明日突然人生が終わる」確率は殆どの人にとって、とても低いです。
人生100年時代とかで、この先の人生がずーっと続いて行くことの「リスク」も考えなければいけません。
但しその「リスク」は、物を溜め込んで解消されるものでは無いはずです。
なぜ断捨離するのか
なぜ断捨離をするのか。とりあえずの答えは、ラクに暮らすため。
物が少なければ掃除もラク。収納や整頓に悩まない。物が死蔵品にならない。探し物のストレスがなくなる。
そして、この先の未来がずーっと続いていくことの「リスク」に対応するためにも、断捨離をしていきたいです。
もしもに備えて物を溜め込むよりも、断捨離をして必要十分なもので身軽に暮らしていく方が、「未来が続くことのリスク」にも対応できると思います。
万が一明日が急に無くなってしまっても、溜め込む生活によって家族または遺品整理等の第三者の方の手をなるべく煩わせない為に、断捨離はした方がよいと思います。
そういう意味で、断捨離は「終活」のひとつです。
そういう意識の中高年の方はどんどん増えていっていると思います。
断捨離関連の記事を書いているブロガーさんの中で、真摯に断捨離を実行されていく姿勢が素晴らしいと尊敬している方のおひとり、冴島唯月さんの「冴島唯月ブログ」の下記記事でも「終活」としての断捨離について触れられていました👇
冴島唯月さんは昨年末に夫様が急病により他界されたとのことで、また成人されていますがお子さんもいらっしゃるため、私のような漠然とした不安ではなく、より切実な気持ちをお持ちかと思います。
断捨離と同じか、それ以上に大切だと思うこと
実際問題、私の断捨離はまだまだ序の口のような段階ですが、遅々としながらも進行していきたいです。
でも、断捨離は目的ではありません。目的は、今を後悔なく生きることです。
いや、どんなに今を後悔なく生きようとしても、ただの俗人の自分は「後悔なく」死ねることはないと思います。
ですが、明日が突然なくなっても、それまでの人生が人いい生だったなと思いたいです。
なので、断捨離(がなかなかちゃんとできないこと)によってまたストレスを感じるなら、ちょっと断捨離も休んでみます。
そして、家族や友人と小旅行をしたり、外食したり、映画を観たり、散歩したり、ただ一緒にいたりしたいです。
もちろんそのハレの日のために、普段はなるべく慎ましく暮らすことも心がけます。
断捨離と同じく、それ以上に大切なのは今を後悔なく生きることだと思います