結構前のことになりますが、仲の良い会社の先輩に「シュシュ」を作ってもらいました。
これは先輩が「作ったから貰って」と言ってきたわけではなく、自分から、洋裁や小物作りが得意な先輩に「髪を結うシュシュを作って欲しい」と頼んだものです。
自分から作って欲しいと頼んだものなので、愛着も感謝の気持ちも大きかったのです。
その「シュシュ」をなぜ断捨離しようと思ったのか。
髪をベリーショートにして、この先伸ばすことはないだろうと思っている
これまで、髪を伸ばしたり短くしたりを頻繁に繰り返してきました。
そして髪を長く伸ばした時には、その髪をしばって結ぶことが多かったのです。その度に、このシュシュにはお世話になりました。
でも最近、髪をベリーショートにして、この先当分髪を伸ばすつもりはありません。
それどころか、これを皮切りに、さらにベリーショートを極めていきたいと思っています(最終的には坊主頭が目標です)。
理由は、髪の毛があることの煩わしさから、できるだけ自由になりたいからです。
充分使わせてもらった
このシュシュを作ってもらったのは20年近く前のことです。
それ以来、髪が結わけるようになると、このシュシュにお世話になりました。
とても丁寧な作りなので、傷みはほとんどありませんが、写真右側の茶色いシュシュは、ゴムを通す口の部分が解れてきてしまいました。
このシュシュを貰ってくれる人がいた
今まで充分このシュシュにはお世話になり、且つこの先、たぶんずっとこのシュシュを使うことはない。
そして作りがとても丁寧で、傷みはあまりないものの、ゴム口が解れてきた。
といった理由から断捨離しようとは思いましたが、やはり今でも仲が良く日頃お世話になっている先輩からの頂き物。単に捨てることには、とても抵抗がありました。
その理由を述べたうえで、髪が長い会社の同僚と派遣社員の方に「貰っていただけると大変ありがたい」とお願いしたら、快く了承してくれました。単に捨てるという結果にならなくて、ほっとしました。
物を捨てる痛みを他人に引き受けてもらうことには厳重な注意が必要
「もし要らなければ言ってね」「無理にとは言わないけど」と言って、「くれるのならありがたく貰うね」と答えてはもらいました。
但し、やはり「せっかくお願いして作ってもらった」「作りが丁寧でとてもよい物」と、自分の拘りを延々と言ったことで「貰うね」と言わせてしまったという懸念はぬぐい切れません。
「もし要らなくなったら捨ててもらっていいから」とも言いましたが、これは「物を捨てる痛みを他人に引き受けてもらう」という、ズルいやり方だという自覚はあります。
このことは今までもわかってきたつもりなのに、どうしても自分で捨てる決断が出来ず、今回シュシュを引き取ることをお願いしてしまいました。
この「物を捨てる痛みを他人に引き受けてもらう」ことのズルさを解消するために、痛みを感じながら捨てることを自分で選択するか、または、手間ばかり掛かるので使用をやめていたメルカリなどのフリマアプリを、再び使うことを考えたほうが良いかもしれません。